【AIで再現】バンコク路面電車の80年史。アジア初、そして廃止へ
1888年9月22日、タイの近代化を推し進めたラーマ5世の時代に、アジア初となる路面電車がバンコクで開通しました。馬が客車を引く「馬車鉄道」として始まり、やがて東南アジア初の「電気鉄道」へと進化。80年間にわたり市民の足として親しまれましたが、自動車社会の到来と共にその姿を消しました。
今回は、AIで再現された当時の映像と共に、バンコク路面電車の栄光と終焉の歴史を簡潔に振り返ります。
【動画】AIで再現されたバンコク路面電車
バンコク路面電車の歴史:アジア初の試みとその80年
第1期:馬車鉄道の時代(1888年〜1894年)
1888年9月22日、デンマーク資本の会社がアジア初の路面電車をバンコクで開業しました。当時はまだ馬が客車を引く「馬車鉄道」で、最初の路線は王宮近くの市柱の祠から、現在の「アジアティーク」付近までを結ぶものでした。しかし、バンコクの酷暑は馬にとって過酷で、運行は困難を極めました。
第2期:電化と黄金時代(1894年〜第二次世界大戦後)
1894年、事業を引き継いだベルギー資本の会社によって電化が実現。バンコクの路面電車は東南アジア初の「電気鉄道」へと進化を遂げます。運行は安定し、チャルンクルン通りやシーロム通りなどへ路線網を拡大。市民から「ロット・ラーン(รถราง)」と呼ばれ、親しまれる存在となりました。
第3期:衰退と廃止(1950年代〜1968年)
第二次世界大戦後、自動車やバスが急速に普及すると、路面電車は交通渋滞の原因と見なされるようになります。インフラの老朽化も進み、バス路線への置き換えが進行。1968年9月30日、最後まで残った路線が運行を終了し、80年の歴史に幕を下ろしました。
まとめ:近代化の礎として
現在、バンコクに路面電車の姿はありませんが、その存在はラーマ5世の近代化政策を象徴する遺産として記憶されています。アジアに先駆けて導入されたこの交通システムは、バンコクの発展を支え、今日のBTSやMRTといった近代的な鉄道網の礎となったと言えるでしょう。
出典
この記事を書いた人
keitasatou:タイムラインバンコク編集者
バンコク在住10年以上ライター、バンコクで複数のSNSを運用しておりフォロワー総数は7万人以上。ライターという特殊な職業柄、各業界のタイの裏話を聞くことも多数あるそう。https://www.facebook.com/thaimlinebkk





