現在、深刻な軍事衝突にまで発展したタイとカンボジアの国境紛争。なぜこれほどまでに紛争が終わりを迎えないのか、その複雑な歴史を時系列にまとめました。国境が制定される前のタイとカンボジアの人々の豊かな交流についての知識も交えることで、今回の紛争問題の「真相」へと深く迫ります。
1904年
1904年: フランス(カンボジア宗主国)とシャム(現タイ)の間で国境条約が結ばれ、ダンレック山脈の分水嶺に沿って国境を引くことが合意されました。
1907年
国境紛争は、フランス植民地時代のカンボジアで作成された地図にまで遡り、この地図はカンボジアが国境の一部を主張する根拠となりましたが、その曖昧さから解釈の相違が生じ、タイはこれに異議を唱えました。
フランスの測量士が作成した地図が、分水嶺の原則から逸脱し、プレア・ビヒア寺院(注1)周辺をカンボジア領内に位置づけたことが根源となる。
1953年
1953年: カンボジアがフランスから独立。
1954年
フランス軍の撤退後、タイ軍がプレア・ビヒア寺院を占拠。
1959年
カンボジアが、プレア・ビヒア寺院とその周辺地域の領有権確認を求めて国際司法裁判所(ICJ)に提訴。
1962年
ICJが、フランスの地図とタイの黙認を根拠に、プレア・ビヒア寺院の主権がカンボジアにあるとの判決を下す。タイは判決に従い、軍を撤退させる。
1970年代後半〜1990年代
クメール・ルージュの活動拠点となり、地雷が多数埋設されるなどして寺院は閉鎖状態に。
1998年
カンボジアがプレア・ビヒア寺院を一般開放。
タイ側からの訪問も可能になる。
2003年
タイの女優による発言をきっかけに、カンボジアで暴動が発生し、タイ大使館が襲撃されるなど両国関係が悪化。
2008年
カンボジアがプレア・ビヒア寺院のユネスコ世界遺産登録を申請し、世界遺産に登録される。これに対し、タイ国内のナショナリストが強く反発し、国境地帯で軍事的な緊張が高まる。
2008年~2011年
2008年7月〜10月: タイ軍兵士がカンボジア領内に侵入するなど、両国軍が国境地帯に集結し、銃撃戦が発生。死傷者が出る。
2011年2月〜4月: プレア・ビヒア寺院周辺で再び大規模な武力衝突が発生。砲撃戦が続き、双方に多数の死傷者が出る他、数万人規模の住民が避難する事態に。
2011年4月: カンボジアが、1962年のICJ判決の解釈を求めて再びICJに提訴。
2008~2011年のまとめ
両国は戦闘の末、停戦を宣言しました。この戦闘により、少なくとも15人が死亡し、数万人の民間人が避難を余儀なくされました。同年、国連の裁判所は両国に軍隊の撤退と非武装地帯の設置を命じましたが、軍隊が衝突を続けていたより広範な係争地域の管理については未解決のまま。
2013年
2013年11月11日: ICJが、1962年の判決はプレア・ビヒア寺院の突出部全体(周辺地域を含む)に対するカンボジアの主権を意味すると再確認する判決を下す。
タイは判決を受け入れつつも、一部の国境画定については交渉の余地があるとの立場を維持。
2025年5月28日
今年に入り、国境紛争は再び悪化しました。両国間の小競り合いでカンボジア兵が死亡しました。この兵士の死は、両国間の関係をここ数年で最低点にまで引き下げました。
2025年6月15日
タイのペートンターン・シナワット首相は、カンボジアの事実上の指導者であるフン・セン元首相と電話で会談しました。この電話は、両国間の緊張を解消することを目的としていました。
2025年6月18日
フン・セン元首相が自身のFacebookページに投稿した電話の録音は、タイで物議を醸しました。ペートンターン氏は彼に対し、タイ軍を「反対側」と呼び、それを無視するよう促し、彼を「叔父さん」と呼びました。彼女はまた、彼が望むことは何でも「手配」すると申し出ました。
彼女の発言は、連立与党と野党双方のタイの議員から非難を浴びました。
彼らは、彼女が自国の軍隊を軽蔑しているように見え、他国の指導者に対してあまりにもへりくだった態度をとっていると述べました。タイの指導者たちは彼女に辞任を求めました。
2025年7月1日
タイの憲法裁判所は、ペートンターン氏との電話会談における倫理基準違反を理由に彼女の罷免を求めた上院議員グループによる申し立てを受け入れ、ペートンターン氏を停職処分としました。
彼女は再び謝罪し、フン・セン元首相との会話の目的は個人的な利益ではなかったと述べました。
2025年5月28日
今年に入り、国境紛争は再び悪化しました。両国間の小競り合いでカンボジア兵が死亡しました。この兵士の死は、両国間の関係をここ数年で最低点にまで引き下げました。
2025年7月
タイ兵が地雷の爆発により右足を失いました。タイはカンボジアとの外交関係を格下げし、駐カンボジア大使を召還し、カンボジア大使を追放すると発表しました。
2025年7月24日
カンボジアのBT-21ロケット弾がタイのコンビニに着弾(民間人に被害)
タイ空軍がF-16戦闘機6機の出動を命じる
タイ軍のF-16戦闘機が、今朝タイにロケットを撃ち込んだ場所とされるカンボジア軍の2つの基地を爆撃
この時系列は、プレア・ビヒア寺院という単一の遺跡や周辺地域を巡る問題が、いかに両国のナショナリズム、安全保障、そして国際関係の複雑な要因と絡み合い、深刻な衝突へと発展し続けているかを明確に示しています。次に、これらの紛争の核心にある具体的な係争地域と、それにまつわる民族的・歴史的背景を詳しく見ていきましょう。
注意1
係争中の歴史的寺院について
プレア・ビヒア寺院(Preah Vihear Temple)とその周辺地域:
これが最も有名な紛争の中心地です。プレア・ビヒア寺院はダンレク山地の断崖に位置する古代クメール寺院で、その帰属をめぐって長年対立してきました。
1962年の国際司法裁判所(ICJ)の判決で、寺院自体はカンボジア領と認められました。しかし、寺院周辺の具体的な国境線については曖昧さが残り、特に2008年のカンボジアによる世界遺産登録をきっかけに、タイ側が反発し軍事衝突に発展しました。
2013年にもICJは、寺院周辺の4.6平方キロメートルの帰属未確定地についてもカンボジアに帰属するという判断を下しています。
しかし、依然としてタイは一部の主張を継続しており、周辺地域での緊張が続いています。
プレア・ビヒア寺院だけでなく、タイ東北部スリン県とカンボジア北西部にまたがる係争地には、タ・モアン・トム寺院(Ta Moan Thom)やタ・クルアイ寺院(Ta Krabei)などの古代寺院遺跡も存在します。
これらの寺院周辺でも、両国間の国境画定が完了していないため、しばしば緊張が高まり、武力衝突が発生しています。
特に、2025年5月以降の最新の衝突では、タ・モアン・トム寺院付近が焦点となっています。
これらの地域では、1907年にフランス植民地時代に作成された地図の解釈の相違が根本的な問題となっています。カンボジアはフランスが作成した地図を根拠とするのに対し、タイは独自に作成した地図を主張しており、国際法上の正当性をめぐって対立しています。
現在のタイとカンボジアの国境地域は、かつては明確な国境線がなく、クメール文化圏とタイ文化圏が混じり合う地域でした。特にダンレク山脈の南北は、歴史的に人々の移動や交易が盛んで、文化的な交流が深く行われていました。
人々の移動と定住:
歴史的に見ると、この地域には同じ民族グループや文化を持つ人々が居住しており、現在の国境線が引かれることで分断された側面があります。
交易路:
古代から主要な交易路がこの地域を通り、物資だけでなく、文化や思想も交換されていました。
文化・宗教の共有:
仏教を信仰し、似たような建築様式や生活習慣を持つ人々が多く、国境を越えた親戚関係や共同体が形成されていました。
言語について:
タイでクメール語を話す民族
タイ国内でクメール語を話す人々は、主にタイ東北部(イサーン地方)の南部に集中しています。特に以下の県で顕著です。
スリン県(Surin):
最も多くのクメール語話者が住んでいる地域として知られています。歴史的にクメール帝国の影響が強く、クメール系の住民が多数を占めています。
シーサケート県(Si Sa Ket):
スリン県と同様に、多くのクメール系住民が暮らしています。
ブリーラム県(Buriram):
こちらもクメール語を話す人々が一定数存在します。
ウボンラーチャターニー県(Ubon Ratchathani):
カンボジア国境に近い地域に、クメール系の住民がいます。
これらの地域に住むクメール語話者は、タイの多数派であるタイ族とは異なる言語と文化を持っていますが、長らくタイ社会の一部として共存してきました。彼らは自分たちの言語を「北クメール語」と呼ぶこともあり、カンボジアの標準クメール語とは多少の違いがあると言われています。
つまり1907年の国境制定前は自然と交流していたひとつの民族だったと言えるのではないでしょうか。
我々日本人にもとっても関連性のある領土問題。一方の正義は一方の悪となってしまう国際関係の不条理さを両国の平和的な関係改善を切に願いながらも、我々日本人も未来に遺恨を残さぬ平和的な解決手段を模索していきたいものです。
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